2018.9.1

 倉敷二日目。美観地区を観光した。大原美術館、併設の喫茶店エル・グレコを回ってきた。大原美術館では、本館、分館、工芸館などがあったが本館の西洋絵画が印象に残った。

 特に印象に残ったのは、ユトリロの「パリ郊外」、シニャックの「オーヴェルシー運河」、児島虎次郎の「朝顔」である。

 パリ郊外は、寂しげで孤独、でもどこか郷愁を誘うこの雰囲気が好き。どんよりとしたこの空、ユトリロは何を思いながらこの風景を描いたのか。

 シニャックの「オーヴェルシー運河」は点描法で描かれている。この明るい青、水に反射する光の質感、爽やかな陽光を感じられるようなこの画面が好き。

 児島虎次郎の「朝顔」は、この女性の柔らかで幸せな表情、降り注ぐ陽光、瑞々しい朝顔の葉、この画面からは幸せな朝の一面を感じられ、温かな気持ちにさせられる。

 

 その後は、鷲羽山に行き、上から瀬戸大橋を眺めた。上から見ると車が風で横に揺れているのが丸わかりで面白かった。そして、瀬戸大橋は海の上に建っているんだなと感じられるパノラマを味わえて、それだけで行く価値はあった。

 

 

2018.8.31

今日は倉敷に来た。瀬戸大橋を渡ってみたかったからだ。瀬戸大橋は文字通り海の上を走っていると感じた。流石に距離が長いだけある。軽自動車なので風に大きく揺すられヒヤヒヤしたが開放感のある走りだった。

倉敷は美観地区に宿を取った。美観地区は古い街並みとしだれ桜、川が調和し趣深い。フラフラ歩いていると大原邸があったので見学。離れの座敷が良かった。静謐でぼーっとできる。大原孫三郎もあそこでゆっくりしたんだろうなぁ。

夜飯はイタリアン。ホステルの下のバーで食べた。頼みすぎたが肉がうまかった。

そういうときに考える。ひとり旅行について。友達とワイワイ飲むのも楽しいけど、1人でのんびり飲むのも悪くない。どことなく感じる寂しさは旅先故のものなのか。

1人で気楽にどこでも行けるひとり旅は、自分の性に合っていると思うが、友達とワイワイする楽しさとどっちを取るかのジレンマはこれからも感じ続けるかもしれない。

デトロイト ビカムヒューマン 感想

なんとなく話題なゲームをやってみた。綺麗なグラフィックとモーション、引き込まれるストーリー展開、最後の盛り上がりととても良いゲーム体験ができた。 まず、グラフィックの良さ。リアルなのに人間がかわいい! ps4のゲームでも 人がアップになると、カクカクしてたり髪が固まってたりするものだが、このゲームはどこまでも滑らかで綺麗なグラフィックだった。 またモーションも滑らかだった。キャプチャーモーションの会社だけあって、細かな仕草や表情まで再現しており、物語の没入感を高めた。 またアンドロイドと人間の関係を通して、人間とは、人間の意識とは何かについて考えさせられた。アンドロイドは、人工知能が情報を処理し行動を決定していく。それに対して人間は、意思によって行動を決定していくが、その意思とは、ある刺激に基づく電気信号をある機関が処理し、それに基づいた反応に過ぎない。 こうして考えると、金属か肉かという違い以外には、さして人間とアンドロイドは変わらないのではないだろうかと感じた。 個々のストーリを進めつつ、収束していく展開、選択次第で大きく変わるストーリーは、とても引き込まれた。 最初はそれぞれ別々の道を辿っていくが、それが一場面に集約していき、それぞれの行動が他の誰かに影響する構成はやっていてワクワクした。 また、選択次第で結果が180度変わるので、決断の重みがあり、心から苦渋の決断をしなければならないようなゲーム体験ができた。 そして、エンディング、私は1回目はカーラとアリスがカナダに脱出、他2人は死亡するエンドだった。 私はカーラとアリスをとにかく応援していたので、2人が脱出したときは本当にほっとしたし、彼女らの今までの苦労が報われ感無量だった。世論を良くしておいて良かったー 入国審査官の兄ちゃんサンキュー。 それにしても、アンドロイドが普及して人間の仕事が奪われ、失業者が増えてるの地獄だ。それは政治による再分配ができてないってことだし、ゲームの世論も政府の再分配よりもアンドロイドの存在を批判している。これは人工知能が普及したときに最悪の社会だと思う。ただありえそうだし、リアルに描かれてて怖い。トッドの境遇は他人事じゃないんだよ。

歩く

 歩いている。砂漠を草原を海を歩いている。夜を昼を歩いてる。果てしなく歩いてる。どこに行き着くのか、なぜ歩いているのか。歩くために歩くのか。

 風が吹いている。風はささやかな道連れだ。

 風のような身軽さはなく、地に縛られた私はただ一歩一歩足を動かすしかない。私はどこにでも行けるのだろうか。どこにも行けないのかもしれない。どこに行き着くのだろうか。虚無、そう虚無だ。最後は虚無だ。虚無に行き着く旅は虚無だ。

 でも、それでも、そうだとしても、私は綺麗な景色や物語に出会いたい。

 

 

 

 

隷属なき道 ルトガー・ブレグマン 読了

 ルトガー・ブレグマン著「隷属なき道ーAIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働」を読み終えた。

 著者のことは、TEDでたまたま知り、ベーシックインカムというアイデアが持つ効果を知った。そのことについてもっと学びたいと思い、本書に手を出した。

 タイトルにAIとの競争に打ち勝つとあるが、原語タイトルは、「万人のためのお金」というような意味であり、AIに関しては、ひとつのテーマとして扱うが、それがメインというわけではない。

 この本の大きなテーマとして、歴史上最も豊かなはずの現代にも関わらず、依然として不平等も多く、鬱病も蔓延している世界を変えるにはどうすればよいかということがある。

 その根幹となるアイデアは、週15時間労働、ユニバーサル・ベーシックインカム、国境のない世界である。これらの意見は、AIの飛躍的な発展により、人間の労働時間は短くなる(この辺は消費を煽るGDPと絡めて)。貧困はお金が足りていない状態であり、さまざまなプログラムを講ずるよりは、単純にお金を配ったほうが、費用も少なく、効果的である。といった考えに基づいている。

 

 ここから各章ごとの感想を書いていく。

 

第1章 過去最大の反映の中、最大の不幸に苦しむのはなぜか?

 過去2世紀の間に世界の富と人口は爆発的に増え、中世の人から見れば、ユートピアそのものな世界になった。しかし、うつ病は深刻な健康問題になっており、富裕国の人の大半は、子供たちは親世代より悪い時代を生きることになると信じている。つまり閉塞的なのだ。資本主義は、豊穣の地へ導いてくれたが、それに代わる新たな指針が必要であるという話だった。

 対症療法的な問題解決を考えるのではなく、新たなユートピアへの指針を想像し、想像することがよりよい世界への第一歩ということである。

 ここで出てきたロバート・オウエンのニュー・ハーモニーの話だが、高校の世界史でこれが失敗し、オウエンは空想的社会主義者として括られていることを習った。しかし、そうした夢想家がいなければ今の暮らしもありえなかったという記述を見て、また、そうだよなぁ、と感じた。実際、そういう人たちが啓蒙して社会が少しずつ変わっていくものだと思うし。ブレグマンはまさに現代でそのような役割を立ち回っているんだなと感じたし、理にかなったことでもあるなと。

 

第2章 福祉はいらない、直接お金を与えればいい

 文字通り、就職支援プログラムや生活保護などの煩雑な支援よりも直接お金を与えたほうが効果的でかかるコストも少ないという考えだ。これは世界各地で行われた研究に裏付けられている。にも関わらず、なぜこれが広く広まらないかというと、「貧乏人はお金の使い方が下手くそ」というイメージが蔓延しているからである。これが誤りである研究は本書参照。

 これはまあ直感的にそうだろうなあと感じる。手続きが多いことで全体の費用は大きくなるし、お金が足りないことからくる貧困を個人の能力や性格の責任にして、社会が上から目線で指導するというのには違和感があるからだ。そもそも俺がちゃんと勉強して大学出て職に就いているのも運みたいなものだし・・・

 というのは置いておいて、大体ブレグマンの意見に賛成であるし、信じたい。しかし、私はちゃんとこの主張の元となっているのデータを精査したわけではないので、一応そのことだけは頭に留めておこうと思う。

 あと、煩雑な手続きが実は膨大なコストとなっているというところ、会社のクソ手続きとかにも共通するところがあると思うし、その視点は持っておきたい。

 

第3章 貧困は個人のIQを13ポイントも低下させる

 ここからは各論という感じ。欠乏の心理によって長期的な視野が失われ、差し迫った欠乏に処理能力を集中させるという話。IQの低下もその一例。

 欠乏の心理は貧困だけでなくいろいろなことに当てはまると思うし、そのような心当たりもある。

 

各章ごとの感想は疲れたから全体のまとめに入るぞ~

 

 産業革命以降人類の労働時間は、減り続けていたのに80年代以降下げ止まりが見られた。また、労働生産性は上がっているのに実質賃金は下がり、貧富の差は拡大し、鬱は蔓延し歪みが出てきている。

 そこで、①週15時間労働、②ユニバーサル・ベーシックインカム、③国境のない世界、これらが世界を救うという話である。

①に関して、経済成長によって余暇と消費が増えたが、80年代以降は消費の増加であり、それは借金によって続いた。働かなければ生活レベルが下がるので労働時間の短縮は無理だと主張されるようになった。一方、過去の事例から長時間労働と生産性に相関関係はないことが分かっている。

 ならばどうすれば労働時間を減らせるか。まずは仕事を減らすことを政治の理念として復活させること。そして教育や退職制度を充実させていくことでそれは実現できると述べられている。

 浅学のためか、私はこの「仕事を減らすことを政治の理念として復活させること」があまりイメージできない。「政策としてお金を時間に換え」ともあり、これのことだろうが、つまりどういうことなのか。これ=教育や退職制度の充実なのか?本文を見る限り、政治の理念としての復活があってから、制度の充実があるように読めるように感じられ、であるならば前者はどういうことなのか。現在の制度による労働時間の長時間化の悪循環に陥らないような制度を作るという理念を国が持つ必要があるということであると一応解釈している。

 

②貧困対策に直接お金を配ることが有効ということは、2章のところで確認した。それに加え、AI時代に突入し、中流の人たちも次々に職を失い、格差がさらに増すことが予想される。テクノロジーの恩恵を受けつつ、格差を是正するには再分配を歪みなくすることである。それにはベーシックインカムが必要であるという話。

 

③迂遠な開発支援ではなく、直接お金を投下する、さらにいは国境を開けば、世界経済は飛躍的に成長し、格差も是正されるという考え。かなりラディカルだが、データも説得力があり、なるほどと感じる。いきなりは無理でも徐々にそういう世界になっていくのがいいのかもしれない。

 

 最後に・・・マジで頼むから、労働時間の短縮とベーシックインカム実現してくれ~って切に思います。労働に人生のかなりの時間が吸われるのは本当に勘弁。なのでブレグマンの主張を支持したい。本書でも言及しているが、奴隷解放も女性解放も当時は夢物語で誰もそんなものが実現するなどとは思っていなかったが、今では常識となっている。ブレグマンの主張も現在では、夢物語と感じられるところもあるが、女性解放や奴隷解放のように、真に良い考えとして広まっていくことを強く望む。また、私も所詮夢物語と冷笑的にならないスタンスを取っていきたい。

 

 

廃墟 妄想

 かつて人が集いにぎわった広場に人はなく、教会の鐘は鳴ることがない。人がいない街は、母なる海に抱かれ眠っている。

 ここは、かつては水の都だった。地球温暖化による海面上昇で、沿岸部にあったこの都市は水没し、今では街の1階部分は完全に水面下にある。こうして人々は移住し、街は廃墟となった。

 

 確かに人が暮らし、生活の拠りどころとなったものが時間の経過に耐えられず沈黙する光景、私はそのような光景が見たく、旅をしている。

 体にフィットする潜水服を着て、水の中に潜る。静寂が支配する青の世界。ここはかつて広場だった場所だ。広場には、カフェやさまざまな店の跡があり、かつての賑わいを思わせる。

広場に面した教会は崩れかけ、割れたステンドグラスが鈍い輝きを放っている。数え切れないほど多くの人がこの街で暮らし、この広場を利用したのだろう。カフェでの談笑、通りを彩る大道芸人、走り回る子どもたち数々の思い出がこの地に眠っている。教会は人々の信仰の拠り所となり、その鐘は生活を刻んでいたに違いない。

 広場から一本入ったところには、窓が均等に配置されている細長い建物が軒を連ねる。昔は宿屋だったのであろう。かつては、観光地として栄えた場所ゆえ、それはそれは観光客も多かったはずだ。宿屋に面した酒場では、常に賑やかで、昼間から酒を飲む客もいれば、喧嘩を始める酔っ払い、ウェイター狙いの若者など、いかにもな客によるありふれた、しかし、かけがえのない時を刻んだのだろう。

 人々はどんな気持ちで生活したのだろうか。どのような物語を語ったのだろうか。

ある決定的な瞬間を過ぎ、その主が去ってもなおそこに佇む廃墟。時に晒され、水に洗われ、なお水底に眠る廃墟はまるで時の本質、人間の営みの無常さを表しているようで感に耐えない。私は、そのような光景を見るのが好きだ。

辛い労働を少しでも楽に考える方法

 仕事に行きたくないです。特に朝起きた時の絶望が凄まじいです。寝る前には起きたら世界滅んでないかなと考えています。

 

 そんな自分ですが、嫌な活動でもなんとか辛くないように考える方法を紹介しようと思います。その方法は物事をワンステップごとに小分けにして考えることです。

 

 仕事、労働という相対を考えるとどうしてもそれが永遠に続く労苦、果てしないものとしてイメージしてしまいます。ぼんやりと何かとてつもないもののように感じてしまいます。

 ここで仕事というものをワンステップごとに考えるとどうなるか。出社する、パソコンを開く、メールをチェックする、抱えていた契約の案件を処理する、などと具体的にすることが見えてくる。さらに進めて、抱えていた契約案件を処理するとはどういうことかをイメージする。相手に見積を頼むならその書類を用意する、はたまたそれを査定するのか、それら一つ一つの作業はそれほど重くなく、地獄のような苦しみを与えるものには程遠いように思う。また、やるべきことも見えてくる。こう考えると、今日を乗り越える道筋が見えてきて心が軽くなる。

 

 中には、小分けにしても嫌な作業はある。例えば、嫌な上司にどうしても何か聞かなければならないときだ。それはしょうがない。嫌なことが突然消え去りはしない。しかし、それでも小分けにしてピンポイントで嫌なことを特定することで、嫌なことに対する覚悟ができる。(???「覚悟は幸福だぞ」)また、嫌な作業もそれ以外のこともひとまとめに仕事と捉え、仕事全体に絶望的なイメージをもつのを防ぐことが出来る。こうすることによって最小限の絶望で日々を送れることになる。なんと素晴らしいことか!

 

でも一番は、ベーシックインカムとかによって労働が必須とされないor労働時間が極めて短い世の中になることですけどね。