廃墟 妄想

 かつて人が集いにぎわった広場に人はなく、教会の鐘は鳴ることがない。人がいない街は、母なる海に抱かれ眠っている。

 ここは、かつては水の都だった。地球温暖化による海面上昇で、沿岸部にあったこの都市は水没し、今では街の1階部分は完全に水面下にある。こうして人々は移住し、街は廃墟となった。

 

 確かに人が暮らし、生活の拠りどころとなったものが時間の経過に耐えられず沈黙する光景、私はそのような光景が見たく、旅をしている。

 体にフィットする潜水服を着て、水の中に潜る。静寂が支配する青の世界。ここはかつて広場だった場所だ。広場には、カフェやさまざまな店の跡があり、かつての賑わいを思わせる。

広場に面した教会は崩れかけ、割れたステンドグラスが鈍い輝きを放っている。数え切れないほど多くの人がこの街で暮らし、この広場を利用したのだろう。カフェでの談笑、通りを彩る大道芸人、走り回る子どもたち数々の思い出がこの地に眠っている。教会は人々の信仰の拠り所となり、その鐘は生活を刻んでいたに違いない。

 広場から一本入ったところには、窓が均等に配置されている細長い建物が軒を連ねる。昔は宿屋だったのであろう。かつては、観光地として栄えた場所ゆえ、それはそれは観光客も多かったはずだ。宿屋に面した酒場では、常に賑やかで、昼間から酒を飲む客もいれば、喧嘩を始める酔っ払い、ウェイター狙いの若者など、いかにもな客によるありふれた、しかし、かけがえのない時を刻んだのだろう。

 人々はどんな気持ちで生活したのだろうか。どのような物語を語ったのだろうか。

ある決定的な瞬間を過ぎ、その主が去ってもなおそこに佇む廃墟。時に晒され、水に洗われ、なお水底に眠る廃墟はまるで時の本質、人間の営みの無常さを表しているようで感に耐えない。私は、そのような光景を見るのが好きだ。